量子コンピューターは特定の課題を極めて高速で解決していきます。量子コンピューターによる暗号システム強化やブロックチェーンの安全性向上には大きな期待が寄せられています。
一方で、量子コンピューターは既存の暗号システム解除にも有効とされています。量子コンピューターはWeb3.0に対する新たなリスクとなるのでしょうか。
本記事では量子コンピューターの概要、Web3.0セキュリティに与えるリスクと対策を分かりやすく解説します。
この記事の構成
量子コンピューター
量子コンピューターは量子力学の原理を利用した新しい種類のコンピューターです。従来のコンピューターがビットという情報の単位を使用して計算を行うのに対し、量子コンピューターは「量子ビット」または「キュビット(Qubit)」と呼ばれる情報の単位を使用します。量子コンピューターは従来のコンピューターよりもはるかに高速で複雑な計算が可能です。
2023年時点で量子コンピューターは開発途中であり、実用化はされていません。量子ビットの信号伝送や冷却技術、量子アルゴリズムなど多くの開発課題を抱えています。
量子コンピューターの特徴
- 量子ビット(キュビット)
- 並列処理
- 量子もつれ
量子ビット(キュビット)
量子コンピューターの基本的な情報の単位はキュビット(※1)です。キュビットは0と1の両方の状態を同時に持つことができます。旧来のビットは1つの状態(0または1)しか持つことができません。
※1 Qubit(Quantum bit )はキュービット、クビットとも呼ばれます。
並列処理
キュビットの重ね合わせの性質により、量子コンピューターは同時に多数の計算を行うことができます。並列処理機能は特定の問題(計算)を解決する時間を大幅に短縮できる可能性があります。
量子もつれ
二つ以上のキュビットが「もつれ」ると、それらの状態は密接に関連し、一方が変化すると他方も即座に変化します。「もつれ」は一度に多数のキュビットを操作することを可能にし、計算能力をさらに高めます。
量子コンピューターの開発背景
量子コンピューターの開発は量子力学の研究から始まりました。当初は量子ビットの制御を課題にした学術的な取り組みでした。量子コンピューターの有用性が認識されると、次第に国家間で開発が競われるようになります。
量子コンピューターが持つ高度な計算能力は、国家のセキュリティや経済競争力に大きな影響を与える可能性があります。そのため、多くの国や企業が量子コンピューターの研究・開発に注力しています。
量子コンピューターの仕組み
- 初期化
- 量子ゲートの適用
- 量子アルゴリズムの実行
- 測定
量子コンピューティングの一般的な仕組みを解説します。
初期化
初期化はコンピューターが計算を開始する前に初期状態を設定することです。従来のコンピューターは初期状態を0または1の値を持つビットによって設定します。量子コンピューターの場合、初期状態はキュビットによって設定されます。
量子ゲートの適用
重ね合わせゲート、位相ゲート、エンタングルメントゲートなどの量子ゲートは量子ビットの状態を操作するための手段です。従来のコンピューターにおける論理ゲート(AND、OR、NOTなど)を超越した新たな操作を可能にします。
量子アルゴリズムの実行
量子ゲートの適用により、量子アルゴリズムが実行されます。アルゴリズムは一連の量子ゲートの操作を通じて計算を行います。
ショアのアルゴリズムは大規模な素因数分解を劇的に高速化し、新たな量子暗号技術の開発を進めます。グローバーのアルゴリズムは非構造化データから特定の情報を効率的に探し出します。
測定
量子状態の測定は重ね合わせの状態にあるキュビットから特定の情報を得るプロセスです。量子ビットが測定されると、それまでの重ね合わせ状態が「崩壊」し、単一の状態(0または1)になります。
測定が可能なのは一度だけです。測定を行うと元の重ね合わせ状態に戻すことはできません。このため量子コンピューターのプログラム設計では、測定は計算の最後に行うのが一般的です。測定によって情報が失われることを防ぐためです。
量子コンピューターの種類
量子ビットの物理的な性質と実装方法によって量子コンピューターにはいくつかの種類があります。ここでは量子コンピューターの種類を決定する量子ビットについて解説していきます。
トラップイオン量子ビット
レーザーを使って閉じ込められたイオンを操作することで量子ビットを実現します。イオン間の強い相互作用を利用し、高いコヒーレンス(※2)時間と操作性を追求します。一方で、イオンの数が増えるとトラップの設計やイオン間の相互作用の管理が難しくなります。
※2 コヒーレンス(Coherence)は量子状態が外部の要因によって破壊されずに保たれる状態です。
超伝導量子ビット
電流を無抵抗で流すことのできる超伝導回路を使って量子ビットを実現します。状態変化に使用される手段はマイクロ波パルスです。半導体製造技術を応用できるため、システムの大規模化が期待されています。一方で環境ノイズに敏感であるため、コヒーレンス時間が短いという課題もあります。
トポロジカル量子ビット
アニオン粒子(※3)を操作することで量子ビットを実現します。アニオン粒子のトポロジカル状態(※4)を利用するため、環境ノイズに対する耐性が期待されています。環境ノイズへの耐性はシステムエラー回避と量子ビットの長期安定性に役立ちます。
※3 アニオン粒子は電気的に陰性を帯びたイオンです。
※4 トポロジカル状態は物質の全体的な特性や形状を反映した状態を指します。
量子コンピューターの活用
- 機械学習
- 分子シミュレーション
- 暗号開発
量子コンピューターの開発が進むにつれて具体的な活用方法が提案されるようになりました。ブロックチェーンなどの暗号分野だけでなく、人工知能やシミュレーション分野などでも活用が期待されています。
機械学習
量子コンピューターは従来の機械学習アルゴリズムよりも高速な学習やパターン認識ができる可能性があります。量子ニューラルネットワークや量子サポートベクターマシンなど、量子機械学習の手法が研究されています。
分子シミュレーション
量子コンピューターは分子の挙動をシミュレートするためにも利用されます。新薬の設計や材料科学の研究など、化学や生物学の分野での活用が期待されます。量子シミュレーションは膨大な数の量子ビットを必要とするため、量子コンピューターの真のパワーを発揮する分野の一つです。
暗号開発
量子コンピューターは量子暗号という新しい暗号方式を作成できます。量子暗号は解読されるリスクがなく、超長期的に情報を保護できる暗号方式です。量子暗号は国家レベルの重要な基幹システムなどで活用が期待されます。
Web3.0セキュリティの技術とシステム
- ブロックチェーン技術
- 分散化
- 匿名性とプライバシー
- スマートコントラクト
- デジタルデータの所有権と管理
- 透明性(監査可)
Web3.0のセキュリティを担保している技術とシステムを解説します。Web3.0のセキュリティの責任は中央管理者ではなく、これら技術とシステムが担います。詳しく見ていきましょう。
ブロックチェーン技術
ブロックチェーンは暗号技術によって取引履歴(ブロック)を1本の鎖(チェーン)のようにつなぎ、データを正確に維持する技術です。ユーザーは自分が行った取引が正確に記録され、変更されていないことを確認できます。
分散化
Web3.0は分散型ネットワークに基づいています。従来のネットワークでは中央サーバーが攻撃されると全体の機能が不全になります。Web3.0では1つのノード(※5)を機能不全にしても他のノードによってネットワークは補完されます。
※5 ノードはネットワーク構築を支援するPCやサーバーです。
匿名性とプライバシー
Web3.0はユーザーの匿名性とプライバシーを保護します。ウォレットは個人情報とリンクしません。個人情報が不正使用されるリスクが大幅に減少します。
スマートコントラクト
スマートコントラクトはブロックチェーン上で動くプログラムです。あらかじめ設定されたルールに従って、自動的に契約が実行されます。インターネット上の契約で第三者の干渉や不正行為のリスクを軽減できます。
デジタルデータの所有権と管理
Web3.0ではデジタルデータをNFTとして所有できます。NFTの保管や送受信もブロックチェーンに記録されます。NFTは複製が極めて困難なので、デジタルデータに正当性を持たせることができます。
透明性
ブロックチェーンのトランザクションは公開され、誰でも監査できます。ウォレットの保有資産も公開されるので、ガバナンストークン保有量などを評価分析することも可能です。
量子コンピューターがWeb3.0セキュリティに与えるリスク
- 暗号解読の脅威
- ハッシュ衝突攻撃
- マイニングプロセスの変化
暗号解読の脅威
ブロックチェーン技術は暗号化とデジタル署名によってデータの安全性と不変性を保証しています。量子コンピューターが現れると、これらの暗号システムは脅威にさらされる可能性があります。
ショアのアルゴリズム(※6)を用いた量子コンピューターは公開ウォレットアドレスに関連付けられた暗号キーを特定する能力を持ちます。ブロックチェーンユーザーやその信頼性に対する実質的な脅威となり得ます。
※6 米国の数学者ピーター・ショア(1959-)が提唱したアルゴリズムです。
ハッシュ衝突攻撃
量子コンピューターはグローバー(※7)のアルゴリズムを使用し、古典的なコンピューターよりも簡単にハッシュ衝突攻撃を実行できる可能性があります。
ハッシュ衝突攻撃では同じハッシュ値を生成する二つの異なるデータを見つけ出します。従来のコンピューターであれば2対のデータを発見するのは非常に困難です。しかし、量子コンピューターは2対のハッシュ値を高速で見つけ出す可能性があります。
ハッシュ衝突攻撃はブロックチェーンのデータを変更します。攻撃が成功するとブロックチェーンへの信頼性が損なわれます。
※7 ロブ・グローバー(1961-)はインド出身のコンピューターサイエンティストです。
マイニングプロセスの変化
マイニングはチェーンに追加される個々のブロックを作成するプロセスです。ブロックを生成するには複雑な計算問題を解く必要があります。量子コンピューターはマイニングに必要な計算処理を高速で実行できるため、マイニングの難易度を上昇させる可能性があります。
Web3.0の量子コンピューター対策
Web3.0にとって量子コンピューターは脅威ではありません。むしろ、Web3.0にユーザビリティとセキュリティを追求する上で革新的なソリューションを提供します。
ここでは「量子コンピューターがWeb3.0セキュリティに与えるリスク」を踏まえて、Web3.0の量子コンピューター対策を具体的に解説します。
量子耐性暗号の導入
- ハッシュベース暗号
- 符号ベース暗号
- 格子ベース暗号
現在のブロックチェーン技術の多くはRSA暗号(※8)や楕円曲線暗号(ECC ※9)といった公開鍵暗号を使用しています。量子コンピューターが実用化された場合、既存の公開鍵暗号が破られる可能性があります。そこで注目されているのが量子耐性暗号です。
量子耐性暗号(Quantum-resistant cryptography)は量子コンピューターによる攻撃に耐性を持つ暗号です。量子耐性暗号を用いることでブロックチェーンのセキュリティは保たれ、より公開鍵暗号が破られるリスクを克服できると期待されています。
代表的な量子耐性暗号であるハッシュベース暗号や符号ベース暗号、格子ベース暗号について解説します。
※8 RSA(Rivest-Shamir-Adleman)暗号は公開鍵暗号の一種であり、公開鍵と秘密鍵の2つの鍵を使用して暗号化と復号を行います。
※9 ECC(Elliptic Curve Cryptography)は楕円曲線上の離散対数問題の困難性を利用した暗号です。RSA暗号よりも鍵のサイズを小さくできる特徴があります。
ハッシュベース暗号
ハッシュベース暗号は現在知られている中で最も強固な量子耐性暗号とされています。ハッシュ関数は一方向性を持つため、出力から元の入力を推定することを非常に困難にさせます。
ハッシュベース暗号ではメッセージがまずハッシュ関数によりハッシュ値に変換されます。次にハッシュ値と秘密鍵を使用して、メッセージに対する署名が生成されます。署名されたメッセージが受信者に送られ、受信者は公開鍵とハッシュ関数を使用して署名を検証します。
ハッシュベース暗号には一度使用されると暗号キーが廃棄される機能(ワンタイム署名)が実装されます。同じキーを二度と使用しないことでセキュリティは追求できますが、新たなキーを生成/配布するための追加システムやプロトコルが必要になります。
新たなキーの生成と配布の問題を解決するアプローチとして、量子キーディストリビューション(QKD※10)やキーリフレッシュプロトコル(※11)などの方法が研究されています。
※10 量子キーディストリビューション(QKD)は量子力学を利用して暗号キーを生成し、送信する方法です。量子状態の特性を利用することで、第三者によるキーの盗聴を検出可能とします。
※11 キーリフレッシュプロトコルは定期的に新たなキーを生成し、既存の通信チャネルを使用してキーを配布する方法です。
符号ベース暗号
符号ベース暗号は「エラー訂正コードの理論 ※12」に基づいた量子耐性暗号です。エラー訂正コードは情報を送信または格納する際に発生するエラーを検出し修正します。物理的なトポロジー(形状や配置)を利用してエラーを検出・訂正するトポロジカルエラー訂正(Topological error correction)などの手法で符号ベース暗号に強力な耐性を付与します。
一方で、符号ベース暗号のキーサイズの大きさは課題です。より強力なエラー訂正能力を備えた符号は大きなオーバーヘッド(追加情報)を必要とし、ネットワーク通信やストレージスペースに負担をかけます。低密度パリティ検査コード(※13)などの新たな符号設計技術によってキーサイズの課題解決が期待されます。
※12 通信路に生じる誤りを検出・訂正するための技術です。
※13 低密度パリティ検査コード(Low-Density Parity-Check Code:LDPC)はエラー訂正コードの一種です。通信のオーバーヘッドを削減するのに貢献します。
格子ベース暗号
格子ベース暗号はNP困難(※14)であると考えられる最短ベクトル問題(SVP ※15)や最近接ベクトル問題(CVP ※16)
などの計算問題を基に設計されています。2023年時点で格子ベース暗号を効率的に解く量子アルゴリズムは存在していません。
格子ベース暗号では最初に公開鍵と秘密鍵を生成します。公開鍵は「難解な格子」と「簡単な格子」の組み合わせから生成され、これに情報(メッセージ)をエンコードします。秘密鍵は「簡単な格子」の情報を持っており、これを使ってエンコードされたメッセージをデコード(解読)します。
エンコードする際にメッセージは「難解な格子」上の点としてマッピングされます。しかし、この「難解な格子」を知っていても、秘密鍵を持たない者(攻撃者)がこの格子上の点(メッセージ)を正確に特定することは困難です。
非常に強力な耐量子性が期待できることから、Microsoftなどの世界的企業も格子ベース暗号の開発を独自に進めています。すでにMicrosoft SEALは利用可能なライブラリであり、耐量子性セキュリティの具体的なソリューションとして期待が集まっています。
※14 NP(Non-deterministic Polynomial time:非決定性多項式時間)困難は問題の困難度を示す度合い(クラス)です。計算時間が指数的に増加していき、解答が不可能に近いことを意味します。
※15 最短ベクトル問題(Shortest Vector Problem, SVP)は格子(整数点の集合)を定義するベクトル群上で最も短いベクトルを見つける問題です。
※16 最近接ベクトル問題(Closest Vector Problem, CVP)は格子(整数点の集合)と任意の点が与えられた時に、その点に最も近い格子点を見つける問題です。
既存のシステムの改善
- マルチシグ(Multi-Signature)技術の改善
- ハッシュ関数の改善
- ハードウェアセキュリティの強化
量子コンピューターの脅威に対抗するために、既存システムの改善も重要です。すでにCEXやエンドユーザーなどが実施している方法もありますが、より広範な普及が期待されます。
マルチシグ(Multi-Signature)技術の改善
マルチシグは複数の署名が必要なトランザクション承認システムです。一部の秘密鍵が量子攻撃によってリスクにさらされても、トランザクションはブロックチェーン上で無効となります。
マルチシグでは必要な署名の数(m)と、その署名を提供できる個々の公開鍵の数(n)を設定してm of nのマルチアドレスが作成されます。これはn数の公開鍵から生成されたn数の秘密鍵の内、m数の署名が必要になることを意味します。
マルチシグのセキュリティを向上させるためには、署名者の数を増やす、または署名プロセスを複雑にするといった方法があります。署名プロセスの複雑化には時限性署名の導入、署名者権限の差異化などがあります。
ハッシュ関数の改善
ハッシュ関数はブロックチェーンの核心的な部分であり、トランザクションの完全性とブロックの連結を保証します。ハッシュ関数を改善することで、量子攻撃耐性を強化することが可能です。ハッシュ関数の強化、ハッシュチェーンの利用、多要素認証(MFA ※17)の導入などが具体的なソリューションとして挙げられます。
ハッシュ関数を強化するにはNIST(※18)が発表したSHA-3(※19)などのセキュアなハッシュアルゴリズムの使用、ハッシュ値の助長によるコリジョン※20回避といった方法があります。
ハッシュチェーンはシードから始まる一連のハッシュ値を作り出すプロセスです。ハッシュ関数を連続的に適用することにより実現され、一時的なパスワードを生成しセキュリティを強化します。
多要素認証はユーザーの身元を確認するために二つ以上の異なる認証手段を要求する認証方法です。パスワードやPIN、スマートカードやセキュリティトークン、指紋認証や顔認証などを複合的に使用します。MFAは単一要素の認証よりも強力なセキュリティを提供し、不正アクセスを防ぎます。
※17 MFA:Multi-Factor Authentication
※18 NIST(National Institute of Standards and Technology)は米国の科学技術標準策定に関わる連邦政府機関です。
※19 SHA-3 (Secure Hash Algorithm 3)は、NISTが2015年に発表した暗号化ハッシュ関数です。
※20 コリジョンは異なる入力が同じハッシュ値を生成する現象です。
ハードウェアセキュリティの強化
物理的なセキュリティを強化することで、システム全体のセキュリティを向上させることができます。具体的な方法としてHSM(Hardware Security Module)の使用、データセンターへの物理的なアクセス制限などがあります。
HSMはデジタル鍵を安全に生成、管理、格納するための専用のデバイスです。HSMはデータの完全性と機密性を保護するために、外部からのアクセスに制限がかかった状態で暗号化とデジタル署名の操作を行います。
データセンターに対する物理的なアクセス制限は不正アクセスやデータ漏洩のリスクを低減させます。具体的な対策としてカードまたはバイオメトリックスによるアクセス制御、監視カメラやセキュリティガードによる24時間監視、エントリーログの保存などが挙げられます。可能な侵入ポイントを制限することで、間接的に耐量子性を向上させることが可能です。
量子コンピューターの利用
- 量子鍵配布(QKD)
- 量子ブロックチェーン
- スケーラビリティとパフォーマンス
量子技術をWeb 3.0のインフラストラクチャに統合することで、データのプライバシーとセキュリティを高め、サービスの信頼性と透明性を向上させることができます。耐量子性を追求する手段として量子コンピューターの選択は正攻法といえます。
量子鍵配布(QKD)
量子鍵配布(QKD)は量子力学の「量子の不確定性」と「観測の原理」を利用して安全な鍵交換を可能にする技術です。通信を行う二者間の安全な通信を保証するためにランダムに生成された秘密鍵を共有し、その鍵を使って情報を暗号/復号化します。
最初に送信者が秘密鍵をエンコードした量子ビットを受信者に送ります。もし第三者(攻撃者)が途中でこの量子ビットを観測(盗聴)しようとすると、その量子ビットは「崩壊」し、送受信者はその事実を検出できます。
量子ブロックチェーン
量子ブロックチェーンは量子力学の原理に基づいて設計されたブロックチェーンです。量子ブロックチェーンは従来のブロックチェーンよりもセキュリティが高く、量子攻撃に対して耐性を持っています。さらに、量子ブロックチェーンは量子ハッシュ関数を利用して、量子投票や量子署名アルゴリズムを実装できます。
量子ハッシュ関数は量子力学の原理に基づいて作られており、この関数は「量子の重ね合わせ」の特性を使用するため、同じ入力に対して複数の出力を同時に生成できます。この仕組みは攻撃者が不正にハッシュを解読することを困難にさせます。
量子投票と量子署名アルゴリズムは量子通信とエンタングルメント(※21)を利用し、ネットワーク上の他の参加者に対して高度なセキュリティを提供します。量子投票ではネットワーク上のすべてのノードが新たなブロックの承認に投票します。量子署名アルゴリズムでは量子力学の特性を用いて署名を生成し、偽造署名を防止します。
※21 エンタングルメントは2つ以上の量子が緊密に関連付けられ、一方の状態が他方の状態に即座に影響を与える現象です。
スケーラビリティとパフォーマンス
量子コンピューティングがブロックチェーンネットワークに導入されることで、一度に多くのトランザクション処理が可能になり、スケーラビリティとパフォーマンスを向上させます。
一方で、悪意ある量子コンピューティングに対抗することも考える必要があります。具体的な対抗手段としてはネットワークの量子レジリエンス、パフォーマンスモニタリング、量子アクセス制御などがあります。
ネットワークの量子レジリエンスは量子ハードウェアと量子ネットワークの耐障害性を高め、悪意のある行為によるダウンタイムを最小化するプロセスです。冗長な量子回路、エラー訂正コード、及び高可用性デザイン(※22)の導入といった手段があります。
パフォーマンスモニタリングは量子コンピューターでネットワーク環境をリアルタイムで監視し、異常なパフォーマンス変動や予期しないパターンを検出する取り組みです。攻撃の兆候を早期に捉えることができます。
量子アクセス制御は量子リソースへのアクセスを厳格に制御し、不正な操作を防ぎます。特定の役職や時間によるアクセス制限、アクションごとのMFA認証などが具体的な手段となります。
※22 高可用性デザインはシステムやネットワークが常に利用可能であることを保証するシステムデザインです。
量子コンピューター対策の責任と実行
- 政策立案者と規制当局
- Web3.0事業者(主にCTO/CIO)
- エンドユーザー
Web3.0のエコシステムにおいて、適切な量子コンピューティング対策は極めて重要となります。対策を進める上で、Web3.0ビジネスのリーダーやエンドユーザーだけでなく、政策立案者や規制当局も含むすべての関係者が深い理解を持つことが求められます。
政策立案者と規制当局
世界各国政府は量子コンピューターの活用を国益に直結する重要なテーマとして捉えています。規制よりも発展と普及を優先し量子コンピューター対策を進めています。
米国では2018年に「国家量子イニシアチブ法案(National Quantum Initiative Act)」が成立し、国として量子情報科学の研究/開発を支援しています。日本政府も2020年に「量子技術イノベーション戦略」を策定し、量子技術の研究開発や産業化を支援しています。
一方で、量子コンピューターの出現によって生じる政治、経済、軍事面のリスクも議論されています。政策立案者と規制当局は量子コンピューター対策において、商業分野のみならず多岐に渡る分野で責任を果たさなければなりません。
Web3.0事業者(主にCTO/CIO)
最高技術責任者(CTO)や最高情報責任者(CIO)は組織のITインフラストラクチャとデータセキュリティを管理します。CTO/CIOは量子コンピューターの有用性とリスクを早期に理解し、対策を実行する責任があります。
量子コンピューティングは高度な専門知識を必要とする技術であり、社内リソースだけで対応するのが困難な場合もあります。外部の専門家やサービスプロバイダーとのパートナーシップを構築し、必要に応じてアウトソーシングも活用しましょう。
エンドユーザー
Web3.0のエンドユーザー(個々の消費者やビジネスユーザー)も自身のデータとプライバシーを保護するために、量子コンピューター対策を理解し、適切な行動をとる必要があります。
エンドユーザーが技術的な対処をする場面は少ないかもしれません。しかし、 Web3.0のサービスプロバイダーを選ぶ際には、量子コンピューティングに関する知識と理解が必要になります。プロバイダーが量子コンピューティングのリスクに対して適切な対策を講じているかを判断しなければなりません。
また、銀行やVC(Venture Capital)からの資金調達の度合いもプロバイダーの信頼性を図るうえで有効です。例えば、三菱UFJ銀行は量子コンピューティングに特化したスタートアップ「Groovenauts」に投資を行っています。Web3.0のサービスプロバイダー選択の際は多様な視点を持つことが大切です。
Web4.0時代へ?
量子コンピューターがWeb3.0セキュリティに与えるリスクを解決することで、インターネットは更なる進化を遂げます。
Web3.0のその先を考察してみましょう。
インターネットのイノベーション
量子コンピューターはインターネットにどのような変化をもたらすでしょう。Web3.0の基盤となるブロックチェーン技術の強化だけでなく、インターネットインフラ自体にもイノベーションをもたらします。
新しいセキュリティ対策
量子コンピューターは既存の暗号システムを脅かす可能性がありますが、それ以上に新しい形の高度なセキュリティ対策も可能にします。量子暗号技術を利用して情報を送信することで、非常に高いセキュリティを実現できます。インターネット通信はより安全に、便利になります。
特に注目すべきは量子暗号技術です。前出の「Web3.0の量子コンピューター対策」で解説したこの技術は量子力学の特性を活用し、盗聴に対して絶対的な安全性を提供します。量子鍵配布(QKD)などは通信参加者が安全性の保証された秘密鍵を共有することを可能にします。
また、量子コンピューターはホモモーフィック暗号(※23)のような複雑な計算も効率的に行えるようになると期待されています。ホモモーフィック暗号ではデータが暗号化されたままで計算を行います。データを復号することなく計算を行うことで、データの漏洩リスクを大幅に削減し、プライバシーなどの課題に役立てることが可能です。
※23 ホモモーフィック暗号はデータを暗号化し、復号化せずに計算をすることができる暗号化方式です。
量子インターネット
量子インターネットは量子エンタングルメント(※24)や超密度符号化(※25)などの量子力学の特性を駆使した革新的な通信ネットワークです。このネットワークは量子状態を利用した情報伝達により、通常の光ファイバーや無線通信では達成できない即時性とセキュリティを実現します。
グローバーのアルゴリズムは非構造化データセットの高速な検索を可能にします。インターネット上の膨大なデータから、必要な情報を一瞬で抽出することもできます。
QKDや量子エンタングルメント中継(Quantum repeater)などの技術は情報の秘匿性を強化し、通信の完全性を保証します。これらの新技術が融合することで、未来のWeb3.0の安全性は格段に向上します。
※24 複数の量子系が相互作用して、その状態が互いに関連づけられた状態のことです。
※25 超密度符号化(superdense coding)は量子ビットの重ね合わせや量子もつれの性質を利用した情報伝達技術です。
新たなクラウドコンピューティングサービス
量子コンピューティングがクラウド上に進出することで、量子リソースをオンデマンドで利用可能になります。クラウドベースの量子コンピューティングサービスはハードウェアへの直接的なアクセスや専門知識を必要とせず、組織や個々のユーザーが量子計算のパワーを手軽に活用できます。
クラウドベースの量子アルゴリズムサービスは、大規模データの分析や最適化問題、AIの学習プロセスの加速など、各種業務に革新的なソリューションを提供します。
量子クラウドプラットフォームはサードパーティの開発者が量子アプリケーションを開発、配布、販売できる新たなエコシステムを生み出します。量子コンピューティングのアクセシビリティを向上させ、新しいビジネスモデルや産業の創出を促進します。
Web4.0のコア技術は?
Web3.0におけるコア技術はブロックチェーンであることは間違いありません。分散型台帳技術(DLT)はデジタル所有権を担保し、中央管理者を必要としない契約を可能にします。
量子コンピューティングは開発段階の次世代のコア技術です。同じく開発が進むAIやXR分野も重要な未来のコア技術として注目されています。量子コンピューターとAIやXR技術が交わることで劇的なイノベーションが起きるかもしれません。
量子コンピューターと合わせてAIとXR技術についても理解を進めていきましょう。
AI
AI(Artificial Intelligence:人工知能)は人間の知的な作業をコンピューターで自動化させる技術です。学習・推論・知識表現・自然言語理解などを行います。AIは製造から医療、金融まで幅広い産業で用いられ、日常生活ではスマートスピーカーの音声認識や顔認証技術などに利用されています。
Web4.0ではAIは情報の検索・分析・予測などで中心的な役割を果たします。データ駆動の社会で大量のデータを効率的に利用し、個々のユーザーに最適化されたサービスを提供します。
量子コンピューティングやブロックチェーンと組み合わせることで、より高度なセキュリティとプライバシー保護が期待されます。
XR
XR(Extended Reality, Cross Reality)は、現実世界とデジタル世界を統合するテクノロジーです。VR(Virtual Reality)、AR(Augmented Reality)、MR(Mixed Reality)を含んだ総合的な概念です。
XRは次世代のコア技術とされ、教育、エンターテイメント、医療、リモートワークなど様々な分野で利用が進んでいます。VRは没入感ある学習環境を提供し、ARは現実世界に情報を重ねることでナビゲーションやショッピングを支援します。
XRと量子コンピューティングは互いに補完的な関係にあります。量子コンピューティングの高速な計算力と効率性はXRのリアルタイムデータ処理と解析に活用されます。Web4.0においてXRは新たなインターフェースとして位置づけられ、現実世界とデジタル世界の融合を加速します。
量子コンピューターに対する各国の取り組み
量子コンピューターは国家のセキュリティや経済競争力に大きな影響を与える可能性があります。世界各国の量子コンピューター開発への取り組みを紹介します。
アメリカ
公式サイト参照:https://www.quantum.gov/
アメリカはこの分野のリーダーであり、IBM、Google、Microsoftなどの主要なテクノロジー企業が量子コンピューティングの研究に積極的に取り組んでいます。2018年には、アメリカ政府はNational Quantum Initiative Actを制定し、5年間で量子研究に10億ドル以上を投じることを約束しました。
ヨーロッパ
公式サイト参照:https://qt.eu/
ヨーロッパ連合は2018年にQuantum Flagshipプログラムを立ち上げ、量子テクノロジーを進展させるための10年間で10億ユーロを投じることを発表しました。また、いくつかのヨーロッパの国々も強力な個別のプログラムを持っています。例えば、オランダは量子コンピューティングの主要な研究センターであるQuTechを創設しています。
アジア
公式サイト参照:https://english.cas.cn/
アジアでは中国が量子コンピューティング研究の先頭を走っています。中国政府はこの分野に大きな投資をしており、特に量子通信の分野で大きな進歩を遂げています。2016年には、世界初の量子衛星(※26)を打ち上げました。
※26 中国は2016年8月に世界初の量子科学実験衛星「墨子号」を打ち上げました。盗聴・傍受が不可能とされる最先端通信システムの構築を目指しています。
日本
公式サイト参照:https://rqc.riken.jp/archive.html#library(Copyright; RIKEN Center for Quantum Computing)
日本の量子コンピューター開発は2023年に入り、大きな動きがありました。
理化学研究所、産業技術総合研究所、情報通信研究機構、大阪大学、富士通、NTTの共同研究グループが2023年3月27日から国産超伝導量子コンピューター初号機をクラウドに公開し、外部からの利用を許可しています。
2023年5月にIBMは東京大学とアメリカのシカゴ大学と提携し、10年間で1億ドル(各校5,000万ドル)の投資を行うことを発表しました。このプロジェクトでは100,000量子ビットの量子中心のスーパーコンピューターの開発を目指します。
日本政府は「量子未来社会ビジョン」を提唱し、量子コンピューター開発に対する財政支援などのバックアップも積極的に行っています。
まとめ
量子コンピューターがWeb3.0セキュリティに与えるリスクについて認識することは大切です。しかし、それらのリスクは量子耐性暗号や既存セキュリティの強化などで十分に対応できます。さらに、量子技術の導入はデータ処理能力を飛躍的に向上させ、Web3.0が提供するサービスやアプリケーションの質を大幅に高めるでしょう。
本記事では量子コンピューターの概要、Web3.0セキュリティに与えるリスクと対策を分かりやすく解説しました。Web3.0セキュリティの変化に備える上でお役に立てる情報となれば幸いです。